㉗山川刀花の歌碑

●場所 芦辺町深江本村触(郷ノ浦港から県道173号線に入り赤木設計付近の高田習字を左に入るが、句碑に行くのは困難)

●建立年月日 1982年4月

●建立者    山川刀花

冬に入る

吾が

牛飼の

始まり

       刀花

この句は「冬になり、牛飼いは寒さから牛を守ったり、食欲の増す牛の餌やりに苦労する。牛飼いにとって冬は大変な季節だ」と思った。

これはすごいぞというくらいに竹や野茨(ノイバラ)が生い茂った中を近くに住む高田さんが、カマを使い先頭になり案内してくれた。かきわけかきわけ、先が見えないので方角も合っているのかわからず、言うとおりに行くと、ありました!もう墓じまいしてあり、同じ敷地の大きな樹の下にあり、そのあたりだけ草木もなく句碑は立派に建っていた。西川左生筆と思われる、力強く、はっきりとした文字。裏面には西川が、山川が句一筋の人生で、特に牛の句が好きだったと書いている。

本名は山川利光。韓国より引き揚げて芦辺町に暮らす。農業と牛飼いをし、妻の実家は石田町のお屋敷という門名で赤木姓。その家の養女が結婚し姓をかえたため申し訳なく思い山川家の手助けを長くしていたという。自宅から下の通りまでの道は坂道で車のない山川のために、牛のえさの干し草を車で運んだり、病院に連れて行ったりしていたと高田さんは話す。

近所で何人かの人が句つくりをしていた。1974年9月8日より、「あしのべ句会」を発足。野本佳代、野元草碩( ページにあり)などが投句。 最初は山川の家などに集まって句会をしていた。

1985年頃、芦辺町文化協会文芸部長・俳句部長をしていた。 山川刀花の句には牛とあじさいの句が多いという。

「壱岐の島俳句」のー便りーより

 梅雨永しされど雨読の日のなくて

「で、やはり百姓に寧日なしというところです。曾良忌にはとうとう差支えて行けませんでした。高雲氏より『左生、鳴風、氏と共に三人はぜひとも』「とて招待状も来ましたが。西瓜づくりなど懸命ですが調子が悪いですよ、八日市の句を日報に出そうかと思っている。」

 

あしべ文芸抄第2号より

 初日記牛賄ひとあるばかり

 鶯の森吾が家へ庭つゞき

 正月も七日となれば漁火が

 ほとゝぎす五時の目覚まし時計鳴る

1985年、俳人の真鍋蟻十の胸像建立(芦辺町瀬戸浦の小弐公園)によせて献句している。

 師の像に日本海あり海は秋

句碑を求めてわれら探検隊