㉖野元草碩の歌碑

●場所 芦辺町深江本村触20付近(郷ノ浦港から郷ノ浦トンネルを抜け、県道173号線を行き左にオレンジ色の屋根の家の道を隔て兵主神社標識の上を上る)

●建立年月日 1996年7月

●建立者 草碩の子ども達

若者の

出でゆく

      島や

鳥渡る

  

コスモスの道を

      受賞の

牛牽いて

         草碩


揮毫は西川左生(俳人)。 

碑は野元家の墓地に建てられている。碑最初の句は、何年も牛飼いをして、畦道・山道を通ったという句。

二つ目の句は自分の息子も含めて、若者たちが都会へ出ていく姿を表した。

本名は野元栄。明治42年1月2日生。俳人。若い時に医術を目指して上京し、初期の資格を取得したその時期に、従軍見習いとして戦地に赴き、爆薬の破裂による鼓膜の損傷をして以来、耳が不自由な人生を生きることになった。農業や酪農のかたわら俳句を詠む。近所に壱岐の島俳句や石田野句会・あしべ句会・北斗会で活躍した山川刀花氏、野本佳代氏がおり、親交を深める。

ホトトギス(全国版の俳句雑誌。正岡子規や夏目漱石などが活躍。)に投句分より

一枝を梨の受粉に貰い来し

起き抜けに菊を剪り来て荷の準備

老農の我も侍りて曾良忌かな

世に疎く住むや鴉の巣に騒ぐ

  若葉して生のもどれる老樹かな

  緑陰の墓石も朽ちし曾良の墓

  浜木綿の花咲く頃の島が好き

  鎌の柄で腰叩きおり麦の秋

  連休も飛び石もなく田を植うる

  風邪ごもり生姜酒あり句誌のあり

  かたつむり道づれなりし吾が句歴

「壱岐の島俳句」より


四五鉢の菊に老後という暮し

「枯淡な境涯句だ。だが老境の美と謂おうか。円熟の句である」と真鍋蟻十が選評している。

                        

平成3年11月8日83歳で亡くなる。

次女の興津美智子さんもあしべ文芸の俳人・歌人で草碩氏の句とともに載せた「俳句集 草碩」を出版した。

句碑建立について文中で、「生前父が『句碑を建てたいねー』と私に行ったことがあります。その時は何気なく聞いていたのですが、帰郷して6カ月位して納骨堂の話があり、一緒に句碑を

と話は出たのですが、私としましては、俳句に関してまだ何もわかりませんので、当時、父と句会などをやっておられて、お世話になっていた事を聞いておりましたのが、ご近所に住まわれていた野本佳代様で、父の事をお尋ねしたのが出会いの始まりでした。」と書いている。