㉔松尾芭蕉の句碑

●芦辺町諸吉大石触594(芦辺港から湾沿いに芦辺浦へ。消防倉庫を右折、十字路を右折。住宅内を行きつきあたりを左の細い坂を上がる)

●建立年月日  1891年

●建立者  吉木鶴遊 早瀬生竹 篠崎月静

古池や蛙飛込水の音  

はせを

(ばしょう)

      

裏には明治24年晩夏  光度書 

寄附者 生竹 春耕 茶遊 時直 梅清

  朝□ 梅枝 加求 池旭 鶴友 

設立者 吉木鶴遊 早瀬生竹 篠崎月静


芦辺浦の天徳寺の境内の池の近くにあったが、礼拝堂建立のために今は礼拝堂横に移されている。 1.36m

この句は有名で貞亨3年作。古い池に蛙が飛び込む音が聞いているうちに心の中に古池の面影が浮かび上がった、という句。静寂な古池と飛び込む音が生命の躍動感を表現しているなど、いろいろな解釈がされている。蛙は春の季語。和歌などでは蛙の声が詠まれることをきまりとしており、「音」をとらえたのが革新だった。「蛙合(かわづ合はせ)」という句合集にある。*この時の句会でちなみに曾良は初入選。句合の席で「判者(作品の優劣をつける)」の役を果たしている。この時曾良は37歳。

1891年頃は、芦辺浦の俳句の全盛期であるようだ。「月並会」を催し、八葉庵士光に師事して句作するようになる。選は士光。士光は江戸の旗本の出身で、芦辺浦で日蓮宗の布教をしながら手習いなどを子どもたちに教えた。彼は非常に俳句に堪能で、当時俳人を指導していた。1907年76歳で没した。芦辺町の妙法寺に墓碑がある。辞世の句

時鳥(ほととぎす)鳴くや乙鳥(つばめ)も山かくれ

月並会では句碑に名前がある月静(篠崎徳太郎)などがいた。

虫の音を奪ふて行くや走り雨

正岡子規が提唱した俳句の会(白藻会)が郷ノ浦に誕生したのは大正12年の頃。 天徳寺の西谷黙笑は葦水(宮津)を師としてつくられた「土会」に入る。句は「掃き寄せて土の匂や鶏頭花」がある。17世の西谷文亮(ぶんりょう)、18世の洞林(とうりん)は寺で句会を開催していた。天徳寺は曹洞宗・本尊は地蔵菩薩。十六番札所。明治時代子供たちを集めて、芦辺小学校が開校。

天徳寺

妙法寺