⑲川添正輝の歌碑

●場所 芦辺町瀬戸浦356‐5(芦辺港から瀬戸方面へ。T字路を右折し、道なりに)

●建立年月日 平成13年5月1日

●建立者    川添正輝

元寇の

昔を語る

千人塚の

み霊よ

永遠に

鎮もり

      給へ


歌碑は少弐千人塚(亡くなった兵士や島人を祭っている)の隅に建っている。瀬戸は、元寇の二度目の弘安の役で戦地となった。千人塚は海岸の石を饅頭型に積み上げている。

元々は、川添家の畑地であったが現在は壱岐市の土地。碑にある歌には、今は平和な世の中になっているので、亡くなった人達の魂よ、鎮まったいて下さい。安らかに。との願いが書かれている。

川添正輝は1926年12月10日、瀬戸浦に生まれる。長兄は入隊直前に病死する。次兄はシベリア抑留中に事故死している。警察官になり、対馬に赴任するが、両親が高齢となり、家を守るため壱岐に戻る。瀬戸浦の倉光家の鮮魚運搬船であちこちの港へ行く。福岡の船にも乗る。その後、中原組のタグボートに乗り、定年まで働く。2020年8月28日に亡くなる。

2009年に歌集「潮騒」を発刊する。歌集には「長崎にいたころに詠んだ歌は終戦の最後の航海の珠丸に積み込んだ一切の荷物とともに、赴任地の対馬に届かず、触雷、玄界灘の藻屑となった。残ったものを一冊にした」と書かれている。歌と毛筆は独自で学ぶ。

歌集は410ページに妻や子ども、孫のこと、友人、そして、その時々の自分の思いを詠んでいる。  息子は「父は短気で、人の喧嘩もかって出ていた。間違ったことは大嫌いだった。周囲からは信用されていた。子どもの頃は食事中も正座して食べなさいとしつけられた。ある時、9歳下の弟が足をくずして食べていたので、注意したら、それを見ていた父は、『足が痛いから、くずしているんだろう』と、これまでにない優しい言葉をかけた事にとても驚いた」と話す。

歌集「潮騒」は410ページに歌が毛筆で書かれている