⑧二十一世 亮海の石碑

●場所 郷ノ浦町庄触838(郷ノ浦港から左折し郷ノ浦トンネルを抜け左折、県道175号線を直進800メートル先左側)  

●建立年月日 不詳

●建立者   不詳

黄泉路立つ

慈母に感謝の

手を合す

よみぢ旅

今日の門出の嬉しさよ                  

みだの出迎へ     涙こぼるる


黄泉路はよみじと読み、冥土(めいど・あの世)への道。みだは「阿弥陀」の略。慈母は深い愛情をもつ母。阿弥陀如来が聖衆を率いてお迎えに来る「来迎図」を思い浮かべる。

この歌もご詠歌ではないかと思う。曹洞宗のご詠歌は主に「梅花流詠賛歌」である。

長栄寺では御詠歌を教えられている。

長栄寺(曹洞宗)は元は長福寺と呼ばれていた。室町時代に、波多氏と日高氏が壱岐の支配をめぐって争った時、壱岐6人衆が長栄寺にこもり、火をかけた。寺の背後にある大御堂は平重盛の祈願で建てられた七堂の一つで、1975年2月、放火により焼失した。

参道の片側に13基の五輪塔群が並んでいる。城の辻の山中にあったものを明治の中頃今の場所に移した。この周辺は、荘園があり、中世には呼子氏や牧山氏の豪族が勢力をもっていた。鎌倉時代か南北朝時代につくられた形式から、豪族が建てたものと考えられている。その中の承元三年七月(1209年)という宝塔は県で一番古いとされる。

奥に御堂があり、横には忠魂碑が建てられている。 寺の背面の丘を城の辻といい、立石城(別名白石城)があった。名勝図誌に城跡の絵がある。室町時代の城主は呼子壱岐守源義(よぶこいきのかみみなもとのただし)。

長栄寺

五輪塔群