⑦二十二世 山内紀生の歌碑

●場所 郷ノ浦町庄触838(県道175号線を直進800メートル先左側)

●建立年月日  1999年6月

●建立者     山内紀生  白石泰之

見わたせば

 功徳の海によせかえす

ひとつひとつの

   波のきらめき

     

平成十一年六月吉日

          二十二世 山内紀生 建立

                  白石泰之



遠く広くはるかに彼方を見渡すならば、あたり一面が観音さまの功徳(くどく)に満ち満ちた海であり、海の波が止まることなく常に変化しながら、きらきらと光り輝くように、観音さまの功徳のひとつひとつが、無数にきらめいているという風景を、歌っているご詠歌だそうだ。

 ご詠歌は、インドで作られたサンスクリット語の参加「梵讃」(ぼんさん)が起源とされている。

中国から日本へ入る。鎌倉時代以降、和歌が「仏教で用いる呪文の一首」であるとする考えが生じ、さらに寺院などが唱える巡礼歌として、民衆に広まったものがご詠歌と考えられている。

 詠歌は元々、声を長く引き延ばして詩を歌うこと。和歌を読むことや和歌そのものを意味していたが、現代では巡礼歌のこと。五七調あるいは七五調の詞に曲をつけたものを「和讃」とよぶ。