※壱岐目村氏彼方(いきのさかんそんじのおちかた)
●場所 勝本町布気触977‐1(郷ノ浦港から国道382号線へ。亀石交差点を左折、湯ノ本方面へ。湾に下りたところ)
●建立 年月日一九九七年12月吉日
●建立者 勝本町
春柳かづらに折りし梅の花
誰か浮かべし盃の上に
裏面には
玄海の海をみはるかすこの勝本の景勝の地に、壱岐のひとびとの健康と幸せを願って本施設はつくられた。 ここに万葉の慶びの秀歌を 当湯あそびひろば「サンドーム壱岐」がおおくのひとびとに永遠に愛されることを祈る。
天理大学名誉教授 文学博士 蜂矢宣朗
(株)プラス計画設計事務所代表取締役所長 山田幸廣
湯ノ本地区のサンドーム壱岐の前に建立。天平2年(730)年正月13日、大宰府の帥(そち・長官)大判旅人の邸宅(坂本八幡宮あたりの説)で詠まれた歌。壱岐目村彼方は「壱岐目」が位の役人で、梅花の宴に招かれた。
奈良時代に編まれた万葉集 巻五にはそこで詠まれた梅花の歌32首がある。その序文から元号「令和」が採られた。
梅の花を手折って髪飾りし、どなたかは梅花を酒杯に浮かべておられるという歌。春柳はかづらの枕詞。
(原文)
波流楊那宜
可豆良尓乎利志
鳥梅能波奈
初代の国司の壱岐守板氏安麻呂が
春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜いも寝なくに
(万葉集 三巻、八三一)
と、詠んだのに対して写実的に詠んでいる。 当時は、芦辺町の瀬戸に上陸して国府の地に着いたとされる。目(さかん)は役職で、上申を上に取り次ぎ、役所の文書を周知させることをした。
多礼可有可倍志
蜂矢宣朗氏の研究文献は「巻十九」「大宝元年紀州行幸の従駕歌」「万葉集における書換への問題」などがある。
担当した設計事務所は大阪市にある温泉施設の設計を行う会社。現在、サンドームの温浴施設は使われていない。

大宰府展示館の博多人形による梅花の宴のジオラマ

大宰府市 政庁跡

大宰府の大伴旅人の歌碑

サンドーム