⑪河合曾良の句碑

●場所 勝本町坂本触757(郷ノ浦港から国道382号線を勝本方面へ。大内商店を左折、すぐ右の坂を上がったところ)

●建立年月日  1934年5月22日

●建立者     壱岐の俳句愛好者

春にわれ

乞食やめても

  筑紫かな

説明板

曾良自筆の原稿には

ことし我乞食やめても筑紫哉

とあり、曾良自身「ことし我では季語として弱いので、春に我としてもよい、しかし、あまりかわりはないので、ことし我としたい」と記している。

曾良が1710年九州に行く直前に郷里諏訪に送った句。

春にわれはことし我であったが、後年姪婿の河合周徳が季を重んじて春に我を石塔に刻み込んだことに始まる。

曾良の225回忌に壱岐の俳句愛好者によって城山公園に建立された。資金は全国の著名俳人から寄せられた色紙、短冊を売ってあて、石材運搬などの労働は勝本の青年の奉仕をうけたという。書は塩谷鵜平(岐阜県)で正岡子規、河東碧梧桐の新傾向運動に参加した、「海紅」同人。

この句には、曾良が芭蕉も亡くなり、淋しく粗末な暮らしをしていたが、巡見氏使の仕事に推され、芭蕉が行きたかった九州へも行ける喜びの気持ちが表れている。

能満寺

能満時から勝本港を望む

曾良の墓

中藤家跡・曾良終焉の地

曾良の故郷、長野県諏訪市とは姉妹都市として、秋の勝本まつりに来島している。能満寺から見える勝本港の眺めは風情がある。

勝本港