●場所 芦辺町恵比須墓地(芦辺港から恵美須方面の鯨墓方面にある)
●建立年月日 2016年
●建立者 町田典子
ゆふ焼けて
茜に染まる
うろこ雲
ながれて
うるほふ
雨となる
芦辺町生まれで書家、歌人の町田典子の短歌。自ら建てた墓碑に刻んでいる。
20歳から書を始め、30代から書道を教える。俳句、川柳や絵画も嗜む。短歌には36歳の時に出会い、壱岐の歌人、篠崎正稔の誘いで芦辺町文化協会短歌部に入会する。49歳のときパーキンソン病を発症し、病歴20年をこえて闘病中であったが2024年9月14日に亡くなる。
「何々家の墓という一般的な墓碑が馴染まず、自分の歌を詠んで刻んでもらいました。
『雲は重なり風に流されていくがやがて雲は雨となり大地をうるおす養分となる』という意味。後世になんらかを残せたらうれしいという意味をふくむ。」と町田の言葉。存命の時に、石碑の本を出すのなら、自分の墓碑も載せてほしいと言われた。
2022年に出版した「山もも」より
心のかよふ母と子になりたくて今日も本気でけんかしてをり
遠き地で自炊する子に送りやる宅急便に磯の香すこし
船までの長き通路を車椅子押す夫の息眼をとぢて聴く
霜の朝写経の指はかじかみぬ息吹きかけて六行を書く
厨土間向けやうのなき苛立ちをここで流してまた顔をあぐ
いのちひとつ生かされて在るあひだまで私として生きて在りたし
夫の町田正一氏は「彼女は天気が悪くなると体が動かせず、また、年齢を重ねるにつれ、細かな作業ができなくなってきている。彼女の生きがいは、友人と書道、そして短歌である。」と書いている。
あしべ文芸の俳句仲間は、「晩年は、夫の事や、高齢で施設にいる母親の事を詠んだ歌があり、世話になっている夫への感謝の気持ちや、面倒を見る事ができない母親への想いが感じられた。また、家の近くの港のようすなども、よく詠んでいた。男気があり、うじうじ言わず、きっぱりとしていた。
町田さん家での句会の後、不自由な身体である中で、押しずしやフルーツ寒天など出してくれた。料理好きだった。
亡くなる2日前も楽しく句会をしたが、亡くなったという急な知らせに、みんな驚いた」と話す。
本のあとがきより
「三番目の子供を赤ちゃんかごに寝かせて子ずれで町の文化協会の短歌会に通い始めたのが平成三年。またたくまの30年だった。日記代わりに書いていた短歌のノートが70冊ほどになった。令和の初め頃二回目の断捨離をした。何でもない、日々の生活の歌だけれど、燃えるゴミで捨ててしまえば、自分の人生の三十年が消えてしまうような気がした。 パーキンソン病を発症し、その後、離婚・再婚とおだやかとは言いがたい年月だったが、折々の思いが、短歌となっていたのかも知れない。」とある。夕方、夫に手を引かれて海岸沿いを歩行訓練する時、カモメやトビが舞い飛び、鳴く。様々に表情を変える海や夕空をながめながら歩く時、生きている喜びを感じる。

歌に詠まれている自宅近くの海岸
故郷は風の島なり晴れて風雨降りて風人去れば風

議員のころの町田と後に夫となる町田正一氏

最後の表紙絵となる